kiss me 4
操縦桿越しに、自分の手が血に染まっていくのがわかる。
気が狂いそうな
最も、コーディネイターであるアスランは、そう簡単に狂うような
でも。
シンのキスが、欲しいな。
最近、よく、そう思うようになった。
何かを、欲しいという感覚は久しぶりで。
そのたびに、あさましい自分に、吐き気がした。
戦場で囲まれてしまうのは、少数精鋭のザフトの宿命的なことだった。
「こんなに酷いのは、そんなにないから」と、先の大戦を経験したパイロットは苦く笑っていたけれど。
シンにとっては、既にそれが日常だ。
艦のために下がれない、左脚部を欠損したセイバーに、淡紅色のビームが迫る。
かろうじて楯が間に合って、しかしそれは別方向からのミサイルには対応できない。
「アスランさん！」
叫んでも、シンも多すぎるウィンダムの相手でそれ以上近づけない。
引き金を引く指が痺れる。
畜生、そう、呟いたとき。
舞い降りた、蒼穹の翼。真白の機体。
絶望的な戦場に、それは、まるで、天使のごとく。
死神の、ごとく。
信じられない精度でミサイルを撃ち落したその機体は、シンの記憶に残る色形をしていた。
青い翼の死の使い。
たった一瞬で、シンの家族を、全てを奪った、赤い光。
「こ、のやろおおおおおお」
「シン！」
シンの放った一撃は、あっけないほど簡単にかわされて、素早く迫ったセイバーに、その進路を塞がれた。
「やめろシン！こいつは敵じゃない！」
「コイツがっ！コイツがオーブで俺の家族をっ・・・」
回線の向こうで、息を飲む小さな音がした。
しかし。
「今は生き残ることが先だ！」
アスランの割れた声が、過去からシンを引き戻す。今、相対している現実に。
白い機体が一瞬で二人を囲んだ敵機を制御不能にし、セイバーが反転してミネルバを狙ったミサイルを撃ち落した。
遠くで、ブレイズザクファントムが海面に火花を散らしている。
「アスラン、援護するよ」
ノイズの向こうの声は、まだ若い、しかし落ち着いたものだった。
「・・・・キラ」
そのときの、アスランの声。
シンの聞いたことのない、安堵と信頼と喜びと・・・少しの、甘さの混じった、声。
しかしすぐさま指揮官の声に戻り、アスランは鋭く言い放つ。
「ルナマリアは艦についていてくれ。カオスは俺が引き付けるから、シンとレイで右翼を突破しろ。・・・キラ！」
「うん、わかった」
その白い機体への指示など、なにもなかった。
しかし、まるで綿密に打ち合わせされていたかのように、そのＭＳはアスランと呼吸を合わせ、シンとレイを助けて、母艦を狙った攻撃を退ける。
開いたままの回線から、誰かの呟く声がした。
「フリーダム・・・」
第二次ヤキンドゥーエ攻防戦、伝説の、MS。
そして。
「キラ！」
アスランが何度も呼んだ、『親友』の名。
シンは、空を翔ける青い翼を睨んだ。それから、アスランの指示に従うため、スラスターを全開にして、レイの元に向かった。
援護してくれた機体に着艦許可が出た。
白い機体からラダーが伸びて、一人の男をゆっくりと、下ろす。
その、男は。
アスランと、同じくらいの年に見えた。
アスランのように、先の大戦を経験したパイロットだという。
オーブ軍の徽章の入ったパイロットスーツを着ている。
そして、シンの前に、立っている。
「君が、この艦でいちばんアスランと親しいって聞いたんだけど」
「何、ですか」
何か言いたかった。どうにかしたかった。
それなのに、アスランを助けたのはそいつで、しかもシンも助けられて。
更にアスランが親しげにその男に話しかけ、今さっきまで、側を離れようとしなかったから。
シンは毛を逆立てた猫のように、遠くから威嚇していたのだけれど。
アスランが、整備員に呼ばれて離れた隙に、なぜかその男が近寄ってきたのだ。
何か言いたかった。どうにかしたかった。
それなのに、アスランを助けたのはそいつで。
今、シンは、動けない。
「うん、あの、アスラン、どうかなって」
笑うと、幼く見える。もしかしたら、シンと同い年くらいなのかもしれない。
「どうって」
「ええと、元気かな、とか・・・」
「本人に聞けばいいでしょう」
噛み付くようなシンの声に、ヤワそうにも見えるそいつは、まったく怯まない。
「でもアスラン、自分のことかまわないから。周りに聞いた方が早いと思ったんだ」
彼のことを、良くわかっているような口ぶりで。
「どこか、具合悪くしてないかなとか、怪我したりしなかったなとか・・・」
「・・・死のうとしてなかったか、とか？」
苛立ちのままに言い捨てる。すると、想像以上の反応があった。
「したのっ！？」
表情を変えて詰め寄った男に、シンの怒りが一気に爆発した。
「追い込んだのはアンタたちだろう！！」
パイロットスーツの、緩められた襟に手を伸ばす。しかし、それはかわされて。
一層頭に血を上らせて、一歩、踏み込む。
「キラ！シン！！」
大声を上げたせいだろう、アスランが駆け寄って、その男の前に立ちふさがった。
「やめろシン！」
そのアスランの行動は、更にシンの怒りを煽るだけで。
「どいてくださいっ」
アスランを押し退けようとしたシンは、しかしその前にアスラン自身によって排除されていた。
体が吹っ飛んでも、初めは何があったかよくわからなくて。
一拍おいて、アスランに殴られたんだとわかった。
前にも叩かれたことはあったけれど、あの時は平手だった。
今度は、拳で。
本気で、シンを排除する動きで。
悲しくて悔しくて涙が出た。
熱いものが腹の底からこみ上げて、叫ばずにはいられなかった。
「コイツがっ、コイツが俺の家族を殺したんだ！あなたを追い込んだのもコイツだろ！それでなんで、あんたがコイツを庇うんだ！！」
シンにとって、全ての諸悪の根源のようなこの男を、どうして。
「アスラン」
そいつが、ひどく静かに言って、アスランの肩に手を置いた。
それから、シンを見下ろして。
「・・・・ごめん」
それだけを、言って。
傍らの青年の背を押して、そこを去っていく。
アスランは、一度だけシンを振り返り、それからそいつについて、行ってしまった。
それを、シンは。
ただ、見送るしかできなかった。
「アスラン、さっきの子」
格納庫から、艦長室に向かう途中、キラは案内するアスランの袖を引いて、立ち止まった。
「うん。オーブ占領戦で、家族を亡くしたんだそうだ。・・・それがフリーダムだっていうのは、俺もさっき初めて知ったんだが」
「そっか・・・」
辛そうなキラの頬に、アスランが指を伸ばす。
キラは、大丈夫だよ、と笑って。
「覚悟は、できてるから。・・・でもごめんね、僕のせいで喧嘩させちゃって」
「ああ。俺も、後で謝りにいかないとな」
うつむいて。
アスランは、難しいよな、と、呟いた。
キラは、それに頷いて答える。
世界は、戦争は。本当に、辛くて難しい。
「アスラン」
それを、全部背負おうとしているかのような友人の肩に、手を置いて。
「辛かったら、ちゃんと言ってね。僕も、カガリもラクスも、たぶんあの子も、君が、とっても大事だよ」
「・・・・わかってる」
形だけ、笑った瞳の抱える深淵。
君はわかってないんだよ。
キラはそう思ったけれど。
アスランを『追い込んだ』自分には、それ以上、を言う資格がないから。そのままアスランを促して、歩き出す。
少年の、燃えるような瞳を思い出した。
あの子なら、どうにかできるのかな。
アスランを、助けてあげられるのかな。
怒られても、殴られてもいいから、話がしたいと思った。
今すぐ、は、状況が許さないけれど。
できるだけ、早く。
・・・・壊れてしまう、前に。
キラがアークエンジェルに戻った後、アスランはすぐにシンの部屋へ向かった。
部屋の前で、少し、考え込む。
殴ったのは自分が悪かった。何故だか、つい手が出てしまった。それは本当に疑いようのないことで、謝るしかない。
あと問題なのは、キラのことだ。
カガリにあれだけ噛み付いたシンのことだ、運が悪かったとしか言いようがないとはいえ、直接手を下したキラを憎むなと言っても聞かないだろうし、それは仕方がないとアスランも思ってしまう。
確かに自分たちには、覚悟があるけれど。
それと、被害者の言い分が違うことは、彼を見ていればよくわかるから。
「でも、キラは・・・」
呟いて、目を閉じて。
でも、いつまでもここにいるわけにはいかないから。
思い切って、ドアを開ける。
「シン、ちょっと、いいか」
「何の用ですか」
怒気を隠さない、シンの声。
怖いな、とアスランは思った。
シンは、いつも何かに怒っているような印象があるけれど、こんなに怒っているところを見るのは初めてかもしれない。
「シン、さっきは・・・」
ドアに叩きつけられ、唇をキスで塞がれて、それから先は言えなかった。
熱い唇、絡まる舌。
いつもは、あんなに気持ちいいそれが。
今、は。
精一杯腕を伸ばし、少年の胸を押し返したアスランは、身を捩って逃れながら、とにかく謝りたいと声を張り上げる。
「シン、シン！さっきは、悪かっ・・・」
しかし、また最後まで言わせてもらえず、キスで言葉を封じられ、床に引き倒されて。
必死になって首を打ち振る。謝らせて欲しい、こんなのは、嫌だ。
「んっ、ふっ、シンっ、す、まな・・・・」
イヤだと、本気で抵抗しているのがわかって、シンはカッとなった。
彼が強く出られないのを利用して、押さえ込んで、服を剥いで。
何度も何度も謝る声を、ひどく腹立たしく聞きながら、シンは、アスランを、犯した。
なんで、あんな奴を庇うんだ。
あいつを、マユを、父さんと母さんを殺したやつを。
あなたを、あんなふうに泣かせたやつを。
俺の気持ちは、わかってくれないくせに。
なんで。
掴み締めた腕が、いつかの自分のように紫色になって、それでもシンを押し返そうともがくのに、眩暈がするほど腹が立った。
アスランの謝罪の声がわずらわしくて、噛み付くようにキスをして、言葉は全部、飲み込んだ。
いつもよりもずっと固い体に無理やり突っ込んで、血を流させて、散々泣かせた。
ひくひくと震える体が、抵抗をあきらめてすっかり大人しくなっても、シンの怒りはいや増すばかりで。
それをすべて、アスランにぶつけた。
後のことなど、なにも考えられなかった。
気持ちよくなかった。
キスも、セックスも。
どんなに謝っても許してもらえなくて、怒りを打ち付けられるだけの行為は、ただ、辛かった。
どうして俺はいつも。
いつも・・・こうやって、大切なものを壊してしまうんだろう。
でも、アスランが大切にしているものは、他の誰にとっても些細なもので。
俺がいくら壊しても、他の誰も、何も傷つかない。
この少年も、きっと。
すぐに俺のことなど忘れて、微笑うだろう。
どこか、遠くで。幸せになるのだろう。
それだけが、救いだった。
それでも、やっぱり俺は辛くて。
麻痺させていた何かが壊れて。
久しぶりに。
死にたいなぁ、と。
強く、思った。